日本語の文献に見る「降水」


今回はドイツ語についてはちょっとお休みして、日本語の「降水」についてちょっと文献を漁ってみた結果を以下にまとめてみようと思います。


各種事典・辞書類の記述

まずは専門書の記述から。三省堂『気象ハンドブック』第三版 (2005) の定義によると、「降水」とは


17.2.6. 降水(雨)
水蒸気が大気中で凝結したり、昇華してできた水滴や氷片、あるいはそれらが凍結、融解してできた氷片、水滴などが落下する現象、または落下したものを降水(通常は雨という)という。雪などのように氷片による降水を区別していう場合は、これを固形降水という。降水量とは、ある時間内に、地表の水平面に達した降水の量をいい、水の深さで表す。(以下略)
朝倉書店『気象ハンドブック』第三版 2005年 pp.242-243.


とのことです。これを見る限り、降水には「落下」の意味が重要であり、雨量枡で捕捉可能な形態を主に想定していることが見てとれます。


次に一般向けの辞書の記述を見てみます。まずは『大辞林』第2版(三省堂)から。


こうすい かう― ① 【降水】
地上に降下する、大気中の水分。雨・雪・霰など。
三省堂『大辞林』第二版 1988年 p.824.


次に『日本国語大辞典』(小学館)の記述を見てみます。


降水 カウ― [降水][名]
雨および雪、あられ、ひょうなど、大気中で凝結した水蒸気で地上に落下し、水になるもの。 *英和和英地学字彙 (1914) 「Kōsui Precipitation, Meteoric Water 降水」 *伊吹山の句に就て (1924) 〈寺田寅彦〉「何ゆえにこのような区域に、特に降水が多いかといふ理由について」
(以下略)
小学館『日本国語大辞典』第二版第五巻 1972, 1979, 2001年 p.337.


これらはよりシンプルな書き方にはなっていますが、どちらも落下する水分という定義がメインとなっており、「露」や「霜」についても同様に言及はありません。


寺田寅彦『凍雨と雨氷』

なお、上記の『日本国語大辞典』には大正13年 (1924) の寺田寅彦の随筆が例としてあげられていますが、寺田寅彦にはもう少し分かりやすい用例が別にありましたので、そちらも以下に引用してみます(下線は当ブログ筆者)。


大気中の水蒸気が凍結して液体または固体となって地上に降るものを総称して降水と言う。その中でも水蒸気が地上の物体に接触して生ずる露と霜と木花(きばな)と、氷点下に過冷却された霧の滴(しずく)が地物に触れて生ずる樹氷または「花ボロ」を除けば、あとは皆地上数百ないし数千メートルの高所から降下するものである。その中でも雨と雪は最も普通なものであるが、雹(ひょう)や霰(あられ)もさほど珍しくはない。霙(みぞれ)は雨と雪の混じたもので、これも有りふれた現象である。
以上挙げたものの外に稀有(けう)な降水の種類として凍雨と雨氷を数える事が出来る。(以下略)
「東京朝日新聞」大正10年 (1921) 2月11日、寺田寅彦『凍雨と雨氷』(引用は青空文庫より)


分かりやすい、とは書きましたが、よく読むとこの文章、何気に解釈が難しいと思います。一見すると露や霜、樹氷などを降水から除外しているようにも読めるのですが、よく見ると、下線部の最初には「その中でも」というフレーズがあり、露や霜は逆に降水に含まれているようにも取れます。つまり、降水の中には「高所から降下する」以外のものもありますよ、という解釈を許す書き方になっています。


連歌における「降り物」

さらに歴史に目を向ければ、現代の学問的な「降水」の定義からはみ出している現象に「降」という文字が使われている事例には容易に出会うことができます。例えば千年以上昔から親しまれている文学形式の一つに「連歌」というものがあるのですが、そこでは詠まれる題材がいくつかのカテゴリーに分類されていて、その中には「降り物(ふりもの)」という分野があります。これは辞書によれば、連歌や俳諧で、天象のうち、空から降るもの。雨・霜・露の類。三句以上隔てて使うのが約束。(小学館『古語大辞典』 (1983) p.1458. 下線は当ブログ筆者)とのことです。これは文字通り天から降るものを指していますが、このカテゴリーの中には「雨」「雪」「霰(あられ)」だけでなく、「露(つゆ)」「霜(しも)」が含まれます。一方「雲」や「霧(きり)」は「聳き物(そびきもの)」という分類になります。こちらは《そびえたなびくものの意》連歌・俳諧で、霧・霞(かすみ)・雲・煙、空にたなびくものをいう。(小学館『古語大辞典』 (1983) p.950. 下線は当ブログ筆者)とのことです。どちらも詠む際は三句以上隔てるのが決まりになっています。


『増鏡』より

まあ「露が降りる」とか、「霜降」とかいう言葉もありますし、露や霜に対して「降」という漢字が使用されること自体は現代人にも理解できる範疇だとは思います。ただ、さらにややこしいのは、同じ辞典で「降る(ふる)」を引くと、用例の一つに霧いみじう降りてという、『増鏡・月草の花』(14世紀成立)からの一節が引用されていることです(小学館『古語大辞典』 (1983) p.1459 より)。なお、これは前後の文脈を含めると、折しも、霧いみじう降りて、行先も見えず。という表現になります。連歌の分野では「聳き物(そびきもの)」として別扱いになっていた霧(きり)が、ここでは「降る」ものとして扱われていることになります。もしかしたら霧のヴェールが空から下りてくる、ようなイメージなのでしょうか。


『万葉集』より

その一方で、空から降るものが別の表現で描写されている例も当然ながらあります。


和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母
わが園に梅の花散る久方の天(あめ)より雪の流れくるかも
『万葉集』巻五、八二二 大伴旅人


この歌の詠み人、大伴旅人 (665-731) は、雪を天(あめ)から「流れ来る」ものとして描写しています。「流れる」という表現を雪という降水現象に用いるというのは、現代ではあまり思いつかない発想かもしれません。旅人は漢詩にも通じていたということなので、ひょっとしたらそちらの影響もあるのかもしれませんが、残念ながら当ブログ筆者にはそこら辺の素養も知識もないため判断は出来かねます…ただ、おそらく、探せばこういった例は他にもいくらでも出てくると思われます。(私自身、ほんのちょっと調べただけでこれだけ見つけられましたので。)


『北越雪譜』より

ここまで、「降水」という語に使われている「降」という漢字に注目して、それが現代の「降水」の定義からは微妙にはみ出した現象に対して用いられている事例をいくつか見てきました。具体的には、連歌において「降り物」として扱われている霜や露の事例、それから行き先も見えないほどに「降る」と表現されている霧の事例などです。また、逆に通常は降水現象には用いられない動詞が降水現象へと援用されている事例(雪が「流れ来る」など)についても触れました。


次に、多少長文になりますが、江戸時代後期(天保8年 (1837) )の文献、鈴木牧之(すずきぼくし)著『北越雪譜』初篇・巻之上から冒頭部分、「地気(ちき)雪と成る弁(べん)」の一節を以下に全文引用してみたいと思います。降水現象一般についての、当時としては最先端の知識が詰め込まれた一文です。基本は青空文庫の該当ページを使用し、国立国会図書館デジタルアーカイブの本文を参照して一部の字体を原文に近づけてみました。(ただしルビや送り仮名など、完全に原文準拠にしてしまうと却って読めなくなりますので、そこらへんは多少調整しています。あくまでも原文の雰囲気を感じてもらうための工夫と考えてください。)ルビはかっこで囲みました。原文のルビはもっと多いのですが、ここでは適宜省いています。


凡(およそ)天より形を為して下(くだ)す物○雨○雪○霰(あられ)○霙(みぞれ)○雹(ひよう)なり。露(つゆ)ハ地気(ちき)の粒珠(りふしゆ)する所、霜(しも)ハ地気の凝結する所、冷気の強弱(つよきよわき)によりて其形を異(こと)にするのみ。地気天に上騰(のぼり)形を為(なし)て雨○雪○霰(あられ)○霙(みぞれ)○雹(ひよう)となれども、温(あたゝかなる)気をうくれバ水となる。水ハ地の全體なれバ元の地に皈(かへる)なり。地中深けれバかならず温気あり、地温(あたゝか)なるを得て気を吐(はき)、天に向(むかひ)て上騰(のぼる)事人の気息(いぎ)のごとく、昼夜片時も絶(たゆ)る事なし。天も又気を吐て地に下す、是天地の呼吸なり。人の呼(でるいき)と吸(ひくいき)とのごとし。天地呼吸して萬物を生育(そだつる)也。天地の呼吸常を失ふ時ハ暑寒(あつささむさ)時に応ぜず、大風大雨其余(そのよ)さまざまの天変あるハ天地の病(やめ)る也。天に九ツの段あり、これを九天といふ。九段の内最(もつとも)地に近き所を太陰天といふ。[地を去る事高さ四十八万二千五百里といふ]太陰天と地との間に三ツの際(へだて)あり、天に近(ちかき)を熱際といひ、中を冷際といひ、地に近(ちかき)を温際(をんさい)といふ。地気ハ冷際を限りとして熱際に至らず、冷温の二段ハ地を去る事甚だ遠からず。冨士山ハ温際を越(こえ)て冷際にちかきゆゑ、絶頂(ぜつてう)ハ温気(をんき)通ぜざるゆゑ艸木(くさき)を生ぜず。夏も寒く雷鳴暴雨を温際の下に見る。[雷と夕立ハをんさいのからくり也]雲ハ地中の温気より生ずる物ゆゑに其起(おこ)る形ハ湯気のごとし、水を沸(わかし)て湯気の起(たつ)と同じ事也。雲温(あたゝか)なる気を以て天に升(のぼ)り、かの冷際にいたれバ温(あたゝか)なる気消て雨となる、湯気の冷て露となるが如し。[冷際にいたらざれバ雲散じて雨をなさず]さて雨露の粒珠(つぶだつ)ハ天地の気中に在るを以て也。艸木の実の円(まるき)をうしなハざるも気中に生ずるゆゑ也。雲冷際にいたりて雨とならんとする時、天寒(てんかん)甚しき時ハ雨氷(あめこほり)の粒となりて降り下る。天寒の強(つよき)と弱(よわき)とによりて粒珠(つぶ)の大小を為す、是を霰(あられ)とし霙(みぞれ)とす。[雹ハ夏ありその弁こゝにりやくす]地の寒強き時ハ地気形をなさずして天に升(のぼ)る微温(ぬるき)湯気のごとし。天の曇(くもる)ハ是也。地気上騰(のぼる)こと多けれバ天灰色をなして雪ならんとす。曇(くもり)たる雲冷際に到り先(まづ)雨となる。此時冷際の寒気雨を氷(こほら)すべき力たらざるゆゑ花粉(くわふん)を為して下す、是雪也。地寒(ちかん)のよわきとつよきとによりて氷の厚(あつき)と薄(うすき)との如し。天に温冷熱の三際あるハ、人の肌(はだへ)ハ温(あたゝか)に肉ハ冷(ひやゝ)か臓腑は熱すると同じ道理也。気中萬物の生育悉(ことごと)く天地の気格に随(したが)ふゆゑ也。是余が発明にあらず諸書に散見したる古人の説也。
鈴木牧之著『北越雪譜』初篇 巻之上「地気雪と成る弁」(ルビは一部省略)


ここでは、今日的な意味での降水にとどまらず、露や霜、さらには雷などの随伴現象に至るまで全て包括した降水現象全般についての考え方が披瀝されています。自分の考えではなく諸書に見られる古人の説、と最後に謙遜していますが、おそらくは当時最先端の学問でもあった蘭学の影響もあってか、内容は客観的かつ分析的です。もちろん現代科学の視点から見れば、雪の成因など細かなところにいろいろとツッコミポイントもあるにはありますが、それでも全体を通して見れば、抽象的になり過ぎず、しっかりと筋が通っていて分かりやすいです。雹が夏にも見られる現象であることにもちゃんと言及しています(理由については「りやく(略)」していますが…)。また雷と夕立を、富士山頂よりも低い高度で起きる「温際のからくり」としていますが、これは葛飾北斎の「富嶽三十六景」の一つ、『山下白雨(さんかはくう)』 (1830-1832頃。リンクは文化庁「文化遺産オンライン」より) において、稲妻が富士山頂よりもはるか下方を走っている構図を想起させるものです。なにより、この文章中に見られる「地気」を「水蒸気」と読み替えれば、水の三態(液体・個体・気体)のみならず、水の循環についての基本的な認識もこの時代には既に存在していたらしいことがこの文章からは読み取れます。


(ついでながら、デジタルアーカイブの本文をよく見ると、「気息」という単語に「いき」ではなく「いぎ」というルビが打たれています。著者の生まれ育った北国(越後)の方言の特徴が垣間見られるようです。)


『雪華図説』

それはともかく、自然や文物のみならず、苦労も多い雪国での日常生活のリアルをも活写して見せた『北越雪譜』 (1837) の著者・鈴木牧之 (1770-1842) ですが、彼よりも一回り下の世代には、自ら顕微鏡で観察した雪の結晶をスケッチして図案化したものを『雪華図説』 (1832) という冊子の形にまとめて自費出版した下総国(しもうさのくに)の古河(こが)藩主・土井利位(どいとしつら、1789-1848)と、家老・鷹見泉石(たかみせんせき、1785-1858) の二人がいます。この二人は生涯にわたる蘭学仲間であり、利位は手に入れた顕微鏡を使って、忙しい公務の傍ら雪が降るたびに結晶の観察に勤しんでいたといいます。(このあたりの事情については、中谷宇吉郎『雪華図説の研究』および『雪華図説の研究後日譚』に詳しい解説があります。リンクはともに青空文庫から。)『雪華図説』は、今で言うところのいわゆる「同人誌」のようなもので、全体のページ数は少なく、出版部数もあまり多くはなかったようですが(ある意味「薄い本」?)、掲載された雪の結晶図は当時の町人の間で大人気となり、着物の柄などにも広く取り入れられました。


なお『雪華図説』冒頭の解説文には、雪の成因や効能について、上記の『北越雪譜』に負けず劣らずの込み入った学説が展開されています。(引用はここでは略しますが、上のリンクから原文が直接読めますので、是非読んでみてください。)これは鈴木牧之が参照した「諸書に散見したる古人の説」の一つかもしれません。実際鈴木牧之は『北越雪譜』の中で、数年前に出版されたばかりのこの『雪華図説』から、雪の結晶の図を出典明記の上で引用しています。


土井利位と鷹見泉石による雪の結晶についての考察と描写、そして鈴木牧之による雪と雪国でのくらしについての詳細な記述は、どちらも江戸時代以降の日本における自然科学研究の白眉と言っていいものであり、彼らの研究成果を後世に残すことを可能にした江戸時代の高精度な出版技術ともども特筆すべきものだと思います。そして明治以降になると、ここにさらに雪の結晶の生成過程の研究のために様々な実験を行った中谷宇吉郎 (1900-1962) の業績が加わることになります。


まとめ

以上、辞書から文学まで、文字資料に見られる「降水」現象の言及例をいくつかピックアップしてみました。現代における「降水」の自然科学的定義から始まり、「露」や「霜」の扱いを経て、最後はいつの間にか「雪」へと話が大きく逸れてしまいましたが、現代の自然科学における「落下する水分」という概念が、「水」の様々な形態の一部しか包摂しておらず、歴史文書に見られる「降」の文字の使用状況とも必ずしも一致するものではないことがよくお分かりいただけたかと思います。


(なお現代の専門用語としての「降水」が、「露」や「霜」についてはあえて言及せず、ただ単に「降下して地面に到達する水分」としている点についてですが、これにはおそらく観測上の技術的事情(露や霜はもともと微量な上に雨や雪との完全な分離が困難、など)も関係しているのではないかと思われます。)


とにかく日本人は、諸々の気象現象に対して、千年以上昔から熱い視線を送り続けてきました。まずは文学作品の素材として、そして近代以降は蘭学など西洋科学の影響も加わって、学問的研究の対象としても気象現象は日本人の心の中で相変わらず大きな地位を占め続けているように思われます。

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