日本語の「天気」・「天候」


「気象」

まずは日本語での基本的な語彙についておさらいしておきたいと思います。日本語で「気象」という語は、一言で言えば大気のあり様を指す言葉です。時間的、空間的に様々に異なる規模を持つ、大気中の諸現象や状態は全て気象という言葉で表すことができます。これは地震や土石流などの「地象」、川の氾濫や洪水などのような「水象」、太陽、月、惑星の運動などの「天象」、虹などの「光象」などと対立した、しかし密接に関連した概念です。


「天気」「天候」「気候」

加えて、気象は、どのようなタイムスパンで切り取って観察・記述するかに応じて異なった呼称が用いられることも多く、中でも特定の時点もしくはごく短い期間における具体的な気象現象は「天気」と呼ばれることがあります。例えば「天気予報」や「天気図」などは、全て特定の日時における具体的な気象状況を指し示すために用いられているわけです。これに対して、最低でも数日かまたはそれ以上の幅のある期間における平均的な大気の有り様は「天候」と呼んで、天気とは区別することがあります。またさらに長く、数十年もしくはそれ以上のスパンを持つ長期的な傾向については「気候」と呼ばれています。


もっとも、これらの用語の区別はあくまでも学問上の約束事みたいなもので、日常の言語使用においてはこの基準に当てはまらない用例も非常に多く見られます。例えば、上で「天候」という語は最低数日の幅のある期間の平均的な大気の有り様を表す、と述べましたが、実際には、

「昼休憩に入るのとほぼ同時に天候が急激に悪化したため、午後の行事は全て中止になった。」

などのような言い方は普通に可能ですし、違和感もほとんどないというか、むしろこの文に限っては「天気」の方が逆に使いづらい、という人すらいるかもしれません(「天気」はおそらく、「急に悪くなったので〜」のように和語風の表現にすればもっと使い易くなるでしょう)。


一般的な単語が意味を限定させて専門用語としても用いられるというのは、実は日本語でもドイツ語でも学問分野を問わずしばしば見られる現象です。ただ、それは実際にはそれぞれの学問分野ごとに「この語は専門用語として使う場合にはこういう意味で使いましょう」と取り決めて使っているだけなのであって、現実の言語使用はそのような後付けの学問的定義には必ずしも縛られてはいませんし、縛られる必要もないわけです。


実際、日本語の「天気」は千年以上の歴史を持つ由緒ある単語なのに対し、「天候」の方はそれほど古いものでもないらしく、『日本国語大辞典』(小学館)でも明治以降の用例が2例掲載されているだけです。一つ目は島崎藤村『夜明け前』の「天候の不順」という表現からの引用で、もう一つは国木田独歩『号外』の「本日天候晴朗なれども波高し」という有名な文(を作中で引用している部分)からの引用です。後者は言うまでもなく本来は「天気」だったはずのものですが、国木田独歩はこれを「天気」とは書かず、あえて「天候」と書いています。その意図は不明ですが、「天気」と「天候」との間の線引きが、実は当時からあいまいなものだったことを示す一例かもしれません。(なお、下の方で改めて触れますが、文学作品以外でも「天候」の用例は実は明治時代から非常に多かったようです。)


ところで、『日本国語大辞典』(小学館)では「天象」や「光象」については『正法眼蔵』からの引用があるのですが、「地象」の用例は「土地収用法」という法律の条文からの引用ですし、「水象」に至っては見出し語すらありません。『気象業務法』(昭和27年〜)には確かに載っているのですが… 参考までに、その『気象業務法』第二条の最初の部分を以下に引用しておきます。


第二条 この法律において「気象」とは、大気(電離層を除く。)の諸現象をいう。
2 この法律において「地象」とは、地震及び火山現象並びに気象に密接に関連する地面及び地中の諸現象をいう。
3 この法律において「水象」とは、気象又は地震に密接に関連する陸水及び海洋の諸現象をいう。
(以下略)
『気象業務法』第二条より最初の部分


なのだそうです。これら以外にも、例えば「海象」「海況」「星象」「大気光象」など実に様々な用語が自然科学の各分野ごとに使用されています。(これらの語の多くに共通している「〜」は、様々な「現象」を表す語を作る接尾辞として、最近の専門的文献では特に重宝されているようです。)これらの自然科学的現象を表す一連の語のうち、大気中の諸現象を表す「気象」について、それをさらにタイムスパンに応じて細分化したのが、気象用語としての「天気」「天候」「気候」ということになります(ちょっと雑過ぎるまとめ方ですが、とりあえずここではそのようにとらえておきましょう)。


なお、上記のような専門用語としての「天気」(ごく短時間の気象状況)と「天候」(ある程度幅のある期間の平均的気象状況)の区別は、英語には(少なくとも単語レベルでは)見当たらないのですが、同じゲルマン語派のドイツ語にはなぜか存在します。前者に相当するのが Wetter (n.) で、後者に相当するのが Witterung (f.) です。というか、順序としてはおそらくドイツ語の区別の方が先にあり、日本語での区別はそれをお手本にして後から導入されたものではないかと考えられます。明治時代以降、近代気象学が日本に導入された際、既に自然科学の分野での先進国でもあったドイツの気象学がいわばお手本にされ、その際にドイツ語にあるそれらの単語を訳し分けるために、当時の日本人研究者たちが当てた訳語がそれぞれ「天気」「天候」だったのではないでしょうか。もちろん確証はなく単なる個人的推測ですが、これら2つの語を上記の意味で明確に区別して用いた最初の文献が何で、いつ頃どういう経緯で出版されたのかが分かれば、そこら辺も多少ははっきりするかもしれません。


明治時代のとある文献に見られる「天気」「天候」の解説

実際、試しに国立国会図書館のアーカイブ(国立国会図書館オンライン)で「天候」を検索してみると、明治時代の書籍がたくさんヒットします。その中から、天気と天候の違いに言及しているものを探すと、以下のような文献がありました。該当部分を以下に引用してみます(太字は原典まま)。


九、天氣
四六 天氣 只今までは、氣温氣壓濕度降水雲形等を別々に説明を致した、我々が俗に天氣と云ふのは、此色々のものが集りて顯はれたのである、そこで此色々のものを天氣の要素と謂ふ、是は丁度水と云ふ化合物は、酸素と水素で出來てるから、此を水の元素と云ふのと同じである。一體天氣は時々刻々に變るから、例へば午前十時と云ふ時刻の天氣と云ふことは謂へるが、嚴重に云ふと三月二日と云ふ日の天氣と云ふことは云ひ難い、斯う云ふ時は大抵天候と曰ふ語を用ゐる。
岡田武松著『氣象學講話(附録 簡易氣象觀測法)』明治四十一年(1908年) pp.40-41.


国立国会図書館のアーカイブの語句検索で見る限り、既に明治時代から、「天候」の用例は専門的な文献であるか否かを問わずそれなりに多かったようです。その多くは時間幅にかかわりなく「天気」の類義語として使用されています。一方、少なくとも上の引用文献では、「天気」と「天候」は明確に区別されています。しかもこの著者は、ここでそう呼び分けましょうと特に提案しているわけでもないため、この呼び分けは慣行としては当時から既に存在していたかのようにも読みとれます。なので、この文献が使い分けの初出であるとは断定できないのですが、少なくとも専門用語としては、これらの用語の使い分けが明治時代末期には既に存在していたことは確実なようです。


(『氣象學講話』の下りは2021年3月18日加筆。)

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